人に見られたら恥ずかしいブログ

人に見られたら恥ずかしいブログです

自殺しようとしていました

 先日、自殺しようとしました。

 結局できなくて今こうして生きているわけですが、忘れないうちに顛末をここに記しておこうと思います。

 

 原因は模試の結果でした。

 しょうもないと思う人が大多数だと思います。そのまま思っていただいて結構です。実際しょうもないんだと思います。

 別に命をかけていたとかそんなことではないんです。志望校がE判定だったら予備校を解約するとは確かに親と約束していました。そしてE判定でした。問題はここじゃないんです。

 一番力を入れて勉強して、そのために他教科の時間を削ったり睡眠時間を削ったりして、かつ解いたときは自信満々で初めて5分余って見直しをして、自己採点の点数が横ばいでも「問題が難しかったからみんなできなかったに違いない」と信じて疑わなかった英語が。

 50点/200でした。

 ペーパーで返される前日に携帯に速報値が入ってきました。唖然としました。今までこんな点数は見たことありませんでした。メールチェックして、アドレス突いて、感情が突き落とされました。視界が次第に狭くなっていくような感覚になり、ふと気づくと額から首まで汗だくになっていました。

 呆然から時間差で失望が追いかけてきました。自分自身への失望です。限界を知るなんて言い方をしたらおこがましいかもしれませんが、浪人生活の集大成くらいに思っていた模試で過去最低点と初の偏差値30点台を取ってしまい、自分は何をしてきたのかわからなくなりました。

 突いたのは帰りの電車の中でした。動悸が止まらないまま家に帰り、時間も遅かったので眠気とごたまぜになって半ば朦朧としながら、流れるようにご飯を食べ、シャワーを浴び、そのまま寝ました。

 

 朝はそのことを覚えていませんでした。

 自分でも不思議ですが、何も思い出さず、何も感じないまま、なんとなく予習をして授業を受けました。

 チュートリアル(模試返却)の時間の直前になって初めて、今日がチュートリアルであったこと、模試が返されることを思い出し、一瞬にして動悸が来ました。手の汗を何度もズボンで拭いました。

 結果を見て改めて呆然としました。重点的に勉強した部分が横ばいで、今まで解けていた部分がほぼ全滅していました。

 努力が否定されると同時に「もう間に合わない」という事実を突きつけられました。僕が志望校に悠々受かるには前回の模試であと100点必要でした。その為に避けては通れない「穴」を埋めるつもりがまったく埋まらず、余計な穴まで開きました。新たな穴を埋められたとしても、これ以上のことはできないでしょう。

 僕はもう、これ以上なんの努力をしても無駄だと諦めました。

 大学に受からず、このまま就職して、僕には何があるでしょうか。どういう将来を過ごすでしょうか。それは僕が今までしたことに見合うでしょうか。これからするであろう努力に見合うでしょうか。

 いろいろなことを考えて、僕はこれ以上生きるのは無理だと直感しました。

 

 

 別に今回が要因の全てではありません。僕は過去に何度かの自殺未遂をし、大体未練や恐怖に打ち勝てず現実に引き戻されてきました。元々僕は自分に価値があるようには考えていませんし、死ねと言われたら死ねるように、突発的に死にたくなったときに死ねるように常に遺書(のようなもの)を持ち歩いています(と昔別のブログに書きました。)

 いつも「今回で終わりにしよう」と思っていましたが、今回も同じつもりでいました。自分に失望し、将来に絶望し、あらゆることに悲観的になると、プールに突き落とされて水面に蓋をされたときのような(経験のある人はあまりいないでしょうけど)肉体的にも精神的にも耐えられない不快さが全てを覆うのです。苦しく、もう二度とそんな目に合いたくないなら、その場で死ぬしかありません。

 

 僕は予備校から富士の樹海までのルートを計算しました。馬鹿馬鹿しいかもしれませんが、僕は前々から、次に死ぬなら樹海にしようと決めていました。

 僕はしょうもないコンプレックスを抱えて生きています。本当にしょうもないと思いますが、僕のアイデンティティであり、それを無視することは耐え難いことです。

 僕は幼稚園から中学校まで友達がほとんどいませんでした。いたにはいましたが、障碍者学級の人、教室で浮いていたり嫌われたりしている人ばかりでした。自分が障碍者であることは後になって分かったし、実際僕も浮いていたり嫌われたりしていました。彼らとは刹那的に遊んだり喧嘩したりして離合集散を繰り返していました。僕は確かに浮いていて、嫌われていました。当時は原因が分かりませんでしたが、今になってみれば当時の僕はうざい奴でした。顔も声もキモいし空気も読めないし、家庭の都合でテレビを一切見ないからなんの話相手にもならないクラスの粗大ゴミでした。

 社会から除け者にされて生きてきた僕だから、せめて最後は大勢の人と共にいたいという思いがあります。

 飛び込みは孤独です。飛び降りは孤独です。服毒も首吊りも孤独です。自殺は多くの場合人に迷惑をかけ、死してなお煙たがられるものです。

 富士の樹海は自殺の名所になってから数十年しか経っていないと聞きます。そこで毎年数十人も死ぬのです。樹海といっても広いので自殺者あたりの面積も広いでしょうが、大事なのは「ここ数十年のあいだに樹海で自殺した人が大勢いる」ということです。僕は彼らに混じって、集合体の一部になりたかった。そんな漠然とした「夢」を描いて、僕が死ぬときは樹海の中だと思っていました。

 咄嗟にそのことを思い出して、僕はナビタイムやグーグルマップを使って交通費や所要時間を調べました。縄は現地で拝借して、なければ最悪木によじ登って鋭利な場所に頭から落ちればいいくらいに考えていました。本当に詰めが甘くてお恥ずかしい限りですが、それほど焦っていて、どうにかなりそうで、どうかしていました。

 一通り調べ終えて、なんとか所持金で足りそうなこと、そんなに時間がかからなさそうなことが分かって、僕は油断しました。これで仮に生き残ってしまったらどうしよう、前みたいに失敗して誰かに見つかったり帰ってきたりして、それからまた勉強に復帰して再び絶望したらどうしよう、そんなことを考えました。もうずっと正気じゃないのですが、このときは特に気が狂っていたようで、何故か最後の踏ん張りと言わんばかりにものすごく勉強をしました。時間を忘れて英語に熱中していました。

 本当に長い時間やって、それで気づいたときにはタイムオーバーになっていました。今から電車を乗り継いでも、河口湖駅から先のバスがありません。

 僕は「あーっ」だの「ぐわーっ」だの言いながら伸びをしました。僕は今日中に死ななければならないが、樹海には行けない、どうしようと、やけに冷静になりながら考えました。

 そして何故だか「油壺」へ行こうと思い立ちました。

 

 油壺は三浦半島にある場所で、戦国時代に敵の軍勢に追い詰められた三浦一族がここに身を投げ、血だまりがまるで油が浮いているように見えたから油壺、という名前になった場所だと記憶しています。

 誰か大勢が死んだ場所、それも今から行ける場所で死のうと思い立った僕は予備校を飛び出し、駅へ向かいました。横浜駅から京急で終点まで乗れば三崎口に着きます。そこからバスか、なければ最悪徒歩で行こうと思っていました。

 しかしここでいつもの悪いクセがでます。僕は常日頃から本当にお金がないので切符は必ず金券ショップで買います。駅へ向かう途中に大黒屋という金券ショップがあるのですが、ここに横浜から三崎口までの切符があることを僕は知っていました。

 そしてまた考えます。仮に失敗して戻ってくることになったらどうしよう、駅で三崎口までの切符を買って、また予備校通いに戻ったときにそのお金がないのは苦しい、せめて金券ショップで買ったほうがいくらか安上がりだ・・・と。考えながら大黒屋の前をグルグル歩き、埒があかなくなってビブレの前に座り込んで頭を抱えるなどしました。

 しばらくしてから僕のところに鳩がよってきました。僕は鳩が好きなのですが、そのときばかりは構ってもらいたくありませんでした。僕は右に腕を振って鳩を追い払いました。八つ当たりです。そこを向かいのアンチャンに見られました。二人組で茶髪のパーマでしたが「あっ!鳩がかわいそうだろバーカ!」「鳩の気持ちを考えろバーカ!」とか言いながら寄ってきました。文章にするとかわいくなってしまいますが、実際は甲高い声で怒鳴るように寄ってきましたから、恥ずかしくなって脇のダイエーに逃げ込みました。店内を急ぎ足で歩いているうちに冷蔵品コーナーの冷気で頭を冷やされたのか、やはり自分が正気でないことに気づいて少し落ち着きを取り戻しました。樹海と違って三崎口へは電車でそうかからない、もう少し考えよう、そう思って予備校へ引き返し、だらだらと勉強をしました。

 再び我に返ったのは九時半でした。この頃になるとすっかり意気消沈していて、自殺の決意はどこへやら、死ぬか家に帰るかが自分の中で五分五分になるくらいまで下がってきていました。こう踏ん切りがつかないままでいることほど気持ち悪いものはなく、再び僕は態度を保留します。ここまで数時間の間でした決断と言えるものは、今日は家に帰らないということくらいでした。

 

 

 

 僕は家へ向かう道を逆送して桜木町へ向かいました。何かアテがあったとか良い死に場所を知ってたとかそんなことは一切ありません。死にたい、でも電車には乗れない、なら歩くしかないという、最低な消去法で選んだ道でした。

 あまり歩くことを想定していない重量を背負っていたので肩が疲れてしまいました。桜木町へついてからもそのまま南進しつづけ、大桟橋まで着いてしまいました。

 もう僕は疲れ切っていて、すぐにでも寝たい気分でした。一晩寝てから死ぬのでも大して変わりはないと、その時の一番の快楽を優先して行動するクズになっていました。

 大桟橋を散歩しているとカップルが沢山いました。どこに行ってもカップルがいて寝転がれるような状況ではありませんでした。浮浪者対策なのかベンチは全て二本の鉄棒を横に渡したものになっていて、段差がつけられているので横になって寝ることができませんでした。仕方がないので南側の人があまりいないエリアの少し突き出している展望デッキで地べたに横になりました。

 

 目が覚めたときには体中を蚊に刺されていました。たまらず起き上がると自分がいくらか回復していることに気づきます。時刻は一時過ぎ、既にカップルはほとんどおらず、陸上の練習と思しき大学生が外周を走っているくらいです。そろそろ本当に死のうと思った僕はデッキから下を覗き込みます。桟橋には船が停泊していて、船と桟橋を往復する人の姿が見えました。ここの高さは落ちても死ねるか微妙な距離で、仮に落ちてもすぐに発見されて生きながらえてしまうだろう、足をなくしたら本当に死ねなくなると思い断念しました。反対のみなとみらい側も確認しましたが、ここでまた要らぬことを考えました。いるわけないのですが、仮に象の鼻や赤レンガからこちらを双眼鏡か何かで見てる物好きがいて通報されたら助かってしまう、ここはやめようと思い至りました。

 今度は山下公園に移動し、ベンチで横になりました。ここで僕は勘違いを二つしていました。

 まず、僕は夜の山下公園をずっとハッテン場だと思い込んでいました。夜な夜なホモが押し寄せてきて盛り合っていて、近づけば犯されると勝手に想像していました。不謹慎な話ですが、いっそ病気を移してもらったほうが踏ん切りがつくと思っていたのでほんの少しだけ期待していたのですが、真夜中の山下公園にはほとんど誰もおらず、酔っ払いリーマンが二人、ホームレスが二人と、奥のほうで空気を読まずに花火を上げている家族くらいしかいませんでした。リーマンは少しして去り、ホームレスもそのうち寝てしまいました。僕も少し海を見ながらボーッとしたあとに就寝しました。

 

 もうひとつの勘違いとは、ここのほうが蚊が少ないという思い込みでした。

 次に目が覚めたのは三時半くらいです。ものすごい痒みでした。大桟橋の比じゃないくらい強烈なのがいたようで、後になって数えてみたらトータルで右足を13回、左足を9回、その他頭や腕などを沢山刺されていたようで、特に左手が腫れ上がっていて感覚がなく握ることもできませんでした。

 夜の山下公園はヤバい――― そう思った僕は、起き上がるには早い時間ながらも撤収を決めます。もう自殺の決意はどこかへいって、ひたすら心が折れていました。とはいっても電車はもうないので、朝までゆっくり歩きながら横浜へ向かうことになります。

 象の鼻を過ぎて赤レンガ倉庫についたとき、前の広場に車が止まっていたのですが、車内の電気が煌々とついていたので中を窺い知ることができました。端的にいうと男女が絡まっていたのですが、当時の冷め切った僕の心にはなんの劣情も沸いてきませんでした。ただ、眠い、痒い、もうだめだ、どうにもならない・・・そんなことで頭がいっぱいでした。

 電気のついていない観覧車は新鮮でした。あたりに人気はなく、コンクリートアスファルトが延々と続く世界はSF感がありましたが、二分に一台くらい車が通っていくのでまだ現世の実感がありました。アウディの前で四人の若い男子がスケートボードに興じていて、こんな時間に何やってるんだと思いましたが、思えば僕も「こんな時間に何やってるんだ」と言われてもしかたがありませんでしたね。

 止まった「動く歩道」を逆送するのは楽しかったですが、思い返しても何が楽しかったのか分からないので試す価値はないと思います。

 スタバ、ツタヤ、大塚家具と抜け、そのまま日産本社までついてしまいました。日産本社の中の渡り廊下を通って横浜駅に抜けるつもりだったのですが、開放時間は04:30からとなっていました。10分くらいあったので階段に座って街灯を頼りに文法書を読みました。ぼんやりした夢のような意識から現実への覚醒、その渡り廊下の中心で進みあぐねているような気がしてセンチメンタルになっていました。

 電気がついて警備員が扉をあけ、僕はその日最初の日産来訪者になりました。反対側へ抜けると横浜駅へのエスカレーターがあるのですがまだ閉まっていて、階段から降りてそごうの地下へ出ました。便意があったのでトイレに入ったのですが、力みすぎて血が出てしまいました。それからこの文章を書いてるあいだもずっと痔です。

 5時になり、僕はマクドナルドでグリドルを食べてから爆睡しました。7時半に目が覚めて、やる振りをしただけのノートを片付けて、足早に店を出ました。「普通」のおじさんがせかせかしくグリドルを頬張る様をみて、居心地の悪さと気恥ずかしさを覚えたからです。

 

 こうして僕は自殺に失敗しました。

 一晩中僕を探していたらしい親は僕のことをこっぴどく叱りつけました。

 結局勉強は続けることになったのですが、正直今でも受かる気はしていません。

 今年も落ちるんだろうなあと漠然と思いながら勉強をしています。

 今はまた、なんとなく生きています。しかし近いうちにいずれ、そうともいかない時期がくるのでしょう。そのときこそ僕は決断できるのでしょうか。たぶんそれも難しいような気がしています。

障碍者は劣っているのか

 不肖、図らずも精神病院に入院することになった。

 

 前歴は省く。ともかく精神科に通っていた。年度頭に受けた発達障害の検査結果が先月でた。曰く「傾向は見られるが診断は出さない」「ほとんどボーダーであり医師によっては診断をつけるだろう」とのことだった。私は腑に落ちなかった。

 病院とは別にカウンセラーをつけてもらっている。精神科の診断結果は患者に直接見せられないとのことだったので、カウンセラーに送ってもらって、セカンドオピニオンではないが別の心理士からの意見を聞くことにした。

 曰く「これなら、私だったらASDの診断を出すけどなあ」とのことだった。

 

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(脳内イメージ:近所の花火大会より)

 

 ASD・・・あさだである。病院の書類には自閉症スペクトラムとあるが、Wikipediaの記事名は自閉スペクトラム症になっていて、どちらが正しいのかは分からない。不謹慎な言葉遊びをしたと思うが、そうだとでも思わない限り10年以上に渡って感じ続けてきた自分の矛盾や無能さの説明がつかなかった。

 私としてはとっとと診断がついて手帳でも出して貰ったほうが気が楽だった。アルバイト時代も自分の「特性」で散々迷惑をかけたし、学校生活でも屈辱と無力感に苛まれ続けてきた。医師に▲をつけられ、カウンセラーには△と言われた。自分の正気を保っていたアイデンティティが挟み撃ちにされた。どちらの言い分でも「はっきりと確信も持って診断を出す」ことができないのである。

 私は、中途半端であるのなら、ないも同然だと思っている。二人とも遠慮がちに話し、必要のない謝罪を口にした。私は「はいそうですか」と頷くことはできなかった。

 

 私は並行して睡眠障害の相談もしていた。最初に相談した睡眠外来には遠方の睡眠クリニックを薦められ、持参したWISKを見た医師から今度は都内の病院を紹介された。冒頭の精神病院だ。

 ここでは発達障害睡眠障害が同時にある患者について、その傾向を調べて診断を出すらしい。体液を抜いたり脳波を測ったり身体が拘束されたりするそうで、言われるがままにサインを書いた。今思うと迂闊だったかもしれないが、どの道早急に結果を知りたいし、薬があるのなら処方してもらって入試に備えたいわけで断ることはなかっただろう。

 

 どんな結果であれ、最新鋭の科学が右といったものを左と取ることはしないつもりだが、両親は診断が覆ることを恐れているようだ。何故か問わなくても理由は分かる。本家筋に見下されないか、兄弟の結婚が不利にならないか、就職は大丈夫かと、そんなところだろう。特に就職については母が心配している。お前に入ってもらいたいような企業では必ず身辺調査があって、診断がつけば隠してもバレる、なぜ否定してもらえたものをわざわざ未練がましく調べ直すのか、などと申されている。

 

 

 

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 話は飛ぶが、私の父は経営がフラフラしている大手メーカーの技師をしている。前に精神科にかかる事自体の可否についてじっくり話したことがあるが、そのときに言われたことでびっくらこいた。やはり大手メーカーともなればお抱えの調査員がいて、就職の際にある程度は調べられるそうだ。しかし(どこまで本当かは分からないが)普通そこでかかって落とされるような人(私のような人)を、意図して何人か取ることがあるらしい。

 思い出しながら要約してみたい。

 

 父の会社を含めて大手メーカー各社は、優秀な人材のその上澄みを綺麗に掬い上げることに腐心してきたきらいがある。優秀で、各能力の均整が取れていて、チームの一員として組み込んだときに扱いやすい人がモテるそうだ。

 大体どこのメーカーにもカリスマのような人がいて、その人たちの手足にさせたり模倣させたりして、新卒を戦力にしていったそうだ。

 しかし「カリスマの手足」ばかり集めていたせいで「カリスマ」が育たず、上が引退すると既存の「手足」と新卒で劣化コピー劣化コピー劣化コピーして・・・という具合に戦力が落ちていったらしい。

 

 企業というのは攻め続けなければダメになる、その一番いい例がアップルだ。

 アップルが成功したのは、「変なこと」をやったから。ジョブズがクビになった後に落ちぶれたのは、新しく「変なもの」を生み出さなくなったから。ジョブズピクサーで成功し、アップルに復帰してから立て直せたのは「変なこと」をやったから。

 初期MACでのWYSIWYGの実現、GUIの搭載、アウトラインフォントの導入など、Windowsなどを出し抜いて、当時としては「変なもの」を作り、いまやそれがほぼすべてのマシンで標準的に載っている。「変なもの」を作れるということは先見性があるとも取れるが、実際これらは数打って当たったものの一部である。変なことやおかしなことをどれだけできるか、いかに常識にとらわれずに発想を飛躍させられるかが、技術革新の要だと父は言っていた。飛躍した発想は最初は爪弾きにされ「エラー」のように扱われるが、そのエラーが何よりも物事を前進させる強い力になる。

 父の勤めている会社では、「エラーを吐き出せる人間」が抑えつけられたり、意図的に採用から外したりしつづけ、その結果堰き止められた水のようになってしまった。水が腐り始めた今になって、行政や他社の支援を仰いだり経営合理化を進めたりしている。しかし小手先で資金を得たところで体質が変わらなければ無碍に浪費されてゆくだけであって、水が腐っているところに真水を足すようなものだそうだ。そんなことが業界中で繰り返された結果、意図的に「エラーを吐き出せる人間」を取ろう、ジョブズを探そうということになっているらしい。

 

 ジョブズADHDだったと言われているそうだ。ADHDだからといってそんな都合よく革新的な発想がポンポン出てくるわけでもないだろうが、どの道なんとも都合のいい話である。

 ともかく、本当にジョブズのような「異質な存在」が社会全体で求められたり、現代日本の閉塞を打破するカンフル剤として期待されるなら、果たして発達障害を指して「劣っている」と言えるのだろうか。

 平均的には足らなくても、何かが突出している。そういう人間なら私もあちこちで何人か見かけてきたが、義務教育の波に揉まれて平均化の訓練ばかりやらされていて誰も苦しそうだった。私もそうだった。苦手潰しに時間を取られ、できないものをできないと訴えれば根性論を持ち出される。まず教育制度のこういうところを改めないと、日本に光明を示す人材なんか到底育たないと思う。

 

 いい加減、空気の読めない人をガイジガイジと貶めるこの国特有の精神病を一掃すべきだと思う。人は誰だって違うべきだし、人が人という枠組みを維持する限り、単一的であってはならないはずだ。

 東大卒だってアナルで感じる人とそうでない人がいるはずなのだ。

To @Gabz_FM

Hi. I am Japanese student Yoshitane Asada.

I must admit that I am too poor at English to get across to you properly. Sorry in advance.

Many slangs were used for my tweet.

First, convert it to general Japanese. Next, I will translate it to English as much as possible.

 

 

ボツワナは午前九時、ダライ・ラマ14世の話題。

ボツワナは午前九時になりました。ニュースではダライラマ14世がボツワナを訪れることを伝えています。

It's 9 o'clock in Botswana. The news tells the Dalai Lama 14th that he will visit Botswana.

 

gabzfmでパーティーかなんかのチケットを売ってる。

Gabz-fmで講演会のチケットに関する広告が流れていました。

A commercial related to the lecture tickets was flowing at Gabz-fm.

 

こりゃ拒否する雰囲気じゃないねえ。

→中国政府がダライラマ氏の入国拒否をボツワナ政府に求めていたが、イベントが中止されるようなことはなさそうだ。

The Chinese government had requested the Botswana government to refuse Dalai Lama's entry, but it seems that the event will not be canceled.I was relieved.

 

建設中の空港を中国が請け負ってるみたいだけど、ストでもすんのかな。

ボツワナのいくつかの公共工事を中国が請け負っているが、工事は大丈夫だろうか。

Some of the public works in Botswana are under contracted by China, is the construction okay?

 

中国系土方の皆さんにはなんて説明するのやら・・・

→仮に中国が一方的に契約を打ち切ったり、あるいは工事を止めたら、中国政府は中国人労働者にはどのように説明するのだろうか。

If China terminates the contract unilaterally or stops construction, how does the Chinese government explain to Chinese workers?

As the Dalai Lama is the enemy of the Chinese government, the topics related to him are regulated in China.)

 

 

Please ask in twitter if you have anything you do not understand. Thank you for reading.

 

学歴と民族

 今回はちょっと脱線します。前回の続きで③とやるつもりだったのですが、②を書いた後にちょっとこっちを書いてみたくなりました。

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 桜にも格というものがあるそうです。どんなルーツを持つか、どこに生えているか、どんな逸話があるかという、本来の花の美しさとは関係のないところに価値を見出そうとする人がいます。そもそもで言ってしまえば植物にとっては花の美しさはあくまで実をつけるためにしかたなく磨くものであって、これは手段であるわけです。花を嗜む人間の中に、果たして手段と目的の倒錯をきちんと理解している人がいるのか、という話を友人としたのですが、友人曰く「その背徳感を楽しんでるのでは」ということだそうで、ますます全国の花屋さんに真相を伺って回りたくなりました。

 どうしてこんな話になったのかというと、その友人も第一志望には受からなかったのですが、駄目だったから浪人したいと親に訴えたら「大学で何を学ぶかが大事だろう、お前はブランド意識で動いているのか」と言われたそうです。正直、大学選びでブランドを意識しない高校生なんていないと思うんですが、私は少なくとも「Fランの癖に」「ニッコマンの癖に」「宮廷落ちの雑魚がイキんな」というような「煽り」をネットリアル問わずあちこちで見てきたので、将来誰かと言い合いになったときに攻撃材料として学歴を持ち出されることのないように、安直な学校は受けなかったわけです。その結果がこうなのでなんとも言えないですが、生涯賃金が少し減ったところでその分不快な思いをしないで済むのなら、お金の許す限り再挑戦し続けざるを得ないと思います。

 

 学歴はある種の身内意識を作ると思います。中央では東大閥一橋閥などと呼称があるように、丸紅に入るには慶應でなければいけないだの、信憑性はともかくとして、就職の有利不利に大きく関わる「暗黙のルール」があるようです。学歴ナショナリズムとでも言いましょうか、同じ大学、同じレベルの人間を囲いたがる節があるように感じます。MARCHという大学の括りがありますが、本来予備校などが難易度を括るためにはじめた呼び方であるのに「あの人はマーチレベルの人間だ」という具合に、その人の優劣を決める指標として扱われることもあるでしょう。

 桜の話ではないですが、人間として優れているかどうかといったナイーブな話では学歴が先行しがちです。その人個人の出来不出来を測るために属性を見られますが、より大きなウェイトを占めるものがこれだと思います。こういう意識が更に尖鋭としているのが、今の韓国だと思います。

 韓国人じゃなくて本当によかったとはこの頃強く思うものですが、当然これは「韓国の教育制度に組み込まれていなくてよかった」という意味です。韓国を否定する気はありませんし、同様に日本を肯定しているわけでもありません。

 しかし学歴は一応、学生当時どれくらい勉強が出来たかを測るバロメーターとしての意味はあるわけです。ところが同じような感覚で「あいつは何人だから程度が低い」といった具合にのたまう輩がいます。僕に言わせれば、国籍で頭の良し悪しを判断することほど愚かなことはありません。大昔に白人が黒人は馬鹿だと言っていたのと同じくらい馬鹿らしい。僕が政治家の中で尊敬しているセレツェ・カーマは黒人です。言っちゃアレですが、当時のローデシアの白人為政者よりよっぽど出来た人です。

 

 韓国に限らず、黒人や中東人を未開の人だと馬鹿にする人が時々ネットにいますが、本気でそう思っている人はきっと実際にその人と会って話したことがないんだと思います。

 白人でもどうしようもない人はいますし、黒人でも秀才はいます。一昔前のようなあからさまな差別意識の具現は現実ではあまり見られなくなりましたが、どういうわけだか白人から見たら劣っている黄色人種をして、黒人に対して悪感情を持っている人がいるのですから驚きです。

 何をどうしたらそんな邪心が吹き飛んでくれるのか分かりかねますが、どうか世界中の人たちが、民族だとかどうしようもないことでヒエラルキーを決定せず、同じ「人間」という括りで地球を見渡せるようになってほしいと願うばかりです。そして真っ先に、日本人の中でこのような馬鹿げた思想を信奉している人が一刻も消え去るように願っています。○○人を殺せ! 追い出せ! などと勇ましくヘイトを振りまく連中が「黄色人種は程度が低い」という意識を海外の人に植え付けかねないからです。

センター試験とデモについて②

 前回お伝えしたとおり、別に保存していた下書き約6000文字がパーになりまして、ちょっとありえないくらいショックで不貞寝してたんですけど、それで書いたことを忘れるほうが悲惨なので頑張って書いてしまおうと思います。

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 散った桜が地面いっぱいに広がるのもまた綺麗ですが、やはりそれは桜の季節の終わりを感じさせるもので、上を見上げれば散った分だけ寂しくなった枝枝が日光を隠そうともしなくなっていて、哀愁と表現していいのか分かりませんが、受験へ向けて一抹の焦りを覚えました。

 これが一抹じゃなくて一層だったらどうなっていたか分かりませんが、なんてifを書くのも情けないのでこの辺でやめておくことにします。

 僕に桜は咲きませんでした。自身の不甲斐なさを責めるだけです。受験は不甲斐ないことの連続でした。親に迷惑をかけました。目の前で10万円を超える額がゴッソリと溶けていきました。

 センター直前に余程焦っていたのか

こんなしょーもないツイートをしていましたが

僕だけでもなさそうだったのでここは総括しないことにします。

 

 そろそろ僕が昨日書いたことを思い出していこうと思います。

 時雨沢恵一先生の著書「キノの旅」の八巻に「想いは正しく伝わらない」という一文が出てきます。どういう背景でこれが出てきたのか思い出せないのですが、読んだ当時に人間関係で躓いていたのもあってとても印象に残っています。

 この時もそんなことを考えていました。

 僕はデモの趣旨そのものには反対していませんでしたし、むしろ賛成側のスタンスでした。ここを書くために四時間かけてフイにした訳ですが、例え文章が消えてしまおうとも伝えたいことも僕の立場も変わらないわけであります。

 僕の思想を長々と開帳すると人格攻撃マンが飛んできそうなので掻い摘んで説明しますが、基本的に僕は、差別や迫害への拒否感、嫌悪感で動いています。それは自分が性的少数だということもありますが、根底には幼少期の経験があります。

 僕が生まれ育った土地柄、様々な人がいました。保育園から既に中東出身の友人がおり、小学校にあがると更に全体の1/10は在日ないし在日の子だったと記憶しています。

 僕の古くからの友人で、在日韓国人三世の男がいます。とてもいい人で、離れた今でも時々skypeをします。僕がいじめられた時に離れていかなかった数少ない友人でもあります。彼はステレオタイプな日本人顔にとても近く、クラス中で「この中に一人半島人がいるので当ててください」と言われても絶対分からないくらいには馴染んでいました。そもそも肌の色がガッツリ違う人が何人もいる中で、韓国人ということは比較的重要ではなく、むしろ親の出が愛知だの山形だの韓国だのといった調子で、感覚的には都道府県の一部のように扱われていました。寛容だったというよりは、誰もそんなことは意識していなかったのだと思います。

 信仰上の理由から給食が必ず別メニュー、容姿が違えば服装も違うしなんだか体臭も独特、という「目立つ奴」ですら自然に溶け込んでいるような、多様性ど真ん中の環境で育ってきました。ちょうどその頃にDTMを覚えたり最初のブログを開設したりしましたが、ネットに触れて情報を集めるに及んで、様々な個人ブログを渡り歩いたわけですが、その中に必ずといっていいほど「まとめブログ」なるものがありました。

 要するに、某匿名掲示板の書き込みを整理して並べたサイトです。

 今となっては僕はこれが大嫌いで憎んでさえいるのですが、当時は若く他にやり方を知らなかったわけで、というかどういうSEOをしているのかまるで分かりませんが、検索結果の順位では探している情報に合致するサイトよりも上に大抵なんらかのまとめブログが出ていたわけで、必然と目に付いたわけです。

 そしてそうとも知らずに開くと、決まってアンテナ欄?に、韓国や中国を貶めるようなまとめが紹介されていました。

 何回か開いたことがあります。そしていつもショックを受けました。口汚い言葉の数々で「特定アジア」の人を貶め罵っていました。とても稚拙で取るに足らない記事でしたし、こんなものどこに需要があるんだと本気で思っていました。

 まず、民族や国籍で括って攻撃対象とすることに物凄く違和感がありました。自分の中ではずっと「好きな食べ物は何」くらいの感覚だったので、してもきのこたけのこ論争くらいのプロレスだろうと思っていたのですが、どうやら日中韓両国のヘイトデモを見ていると、やはり救いはないようです。

 それこそ地球規模で見れば差異なんてほとんどない我々が、歴史認識の違いなんていうしょうもないことで憎しみあっているのは悲劇以外の何者でもないですし、多分先導して煽動している活動家をThe DNA Journeyに参加させたら先祖の数パーセントは敵国のものと出るはずです。何より僕と親しい友人が、恐らく謂れのないであろう差別・攻撃・迫害の対象とされていることに幼いながらも憤りを覚えました。

 

 ここまでで僕が民族差別が嫌いだということを長々と書いてきましたが、あと僕がどういう属性を持っているかは

こう書いた通りです。改めて書くことでもないので割愛しますが、僕は当時も今でも安倍政権を好意的に取っていませんし、野党共闘で何か変わってくれるなら、という思いで、彼らなら僕のようなものの意見を汲んでくれるのでは、と淡い期待を寄せていました。

 この時までは。

センター試験とデモについて①

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 お墓に肖像権や意匠権があるかどうかは僕は存じ上げませんが、去年の春に西日暮里に上掲の写真を撮影に行った時は、あくまで主被写体は「桜」だったわけで、要はお墓は背景なわけです。そう言い張れば大丈夫かなァ・・・いやどうだろ・・・と思いながらコンテストに出すとき没にしたのですが、改めて見ると桜はもう散って葉が出てるし、明暗にムラがありすぎてるしで酷い出来なので、人目につくところに置いて「供養」としたいと思います。

 フォトショップ? そんなもん買ってるお金ないから国立大目指してたんでしょ。

 

 というわけでセンター試験とデモについてです。下書きの時点で①と振ってますが、分割しないかもしれません。まあそうしたらここは削るんですけどね。

 さて、先々月の14日15日と二日間に渡って、悪名高いと自分の中で評判のセンター試験が実施されました。このブログのひとつめのエントリにも書きましたが、結果的に第一志望どころか第三までズッこけて、センター利用も取れないという、絵に描いたような落第劇を見せて親族中から不興を買ったわけなんですが、河合の模試がガバだとか八つ当たりする期間も終わって、冷静に来年の受験を考えなければいけない時期を迎えました。

 合格者の受験番号が霞んで見えたのは血の気が引きすぎたからでありましょうか、すぐ横で何某に胴上げされる何某を見て、嘘でも胴上げされてやろうかとも考えましたが、その様子を撮影していたカメラマンを見て一瞬で踵を反しました。

 

 受けた証拠に問題の写真を晒そうかとも思いましたが、どうせ家族か友人から借り受けたんだろうと言われたらどうしようもないのでやめました。しかし僕がセンター試験を受けたことは事実で、終わった後に友人と「君の名はだと思ったら夢オチだった」と話をしたこともハッキリと覚えています。

 相反するイデオロギーを持つことになる人同士が、同じ部屋で数時間に渡って同じ試験を受ける、そう書いたらなんだか面白そうですが、一般入試も自動車免許の講習もそんなだろうと思ったら途端にありがたみが喪失しました。

 

 強引に展開させようと思いましたが無理ですね。おとなしく本題に入ります。

 こんな時期にツイッターしてるようなのは受からない、という指摘を頂いたのはいつの頃か、というか余りにも沢山頂いたので、明確にいつというのは調べるのが面倒なのですが、面倒になるくらいお叱りのメッセージを受けた受験生というのも、ある意味貴重な存在で、まあそれが僕なんですけど・・・

 こーんなツイートしなければなんにもなかったんですが

 後悔先に立ちませんでした。

 

以下、下書き6000文字を全損しました。思い出しながら書きなおしていますが、誠に勝手ながら記事を分割させていただきます。次回更新は明日の6時を予定しています。

B氏(M氏)への謝罪

 本当に申し訳ありませんでした。

 ずっと、すぐにでもお伝えしたかったのですが、事を見ていた方から「受験が終わるまで来るな」と言われたので黙っていました。ROM専に徹すると書きましたが途中で魔が差して書き込んでしまったことも謝罪しなければいけません。あれ以降当該アカウントには本記事執筆時点で触れていません。

 経緯は一本目の記事に書いた通りです。あまり表沙汰にするようなことではないので詳説詳解は差し控えますが、原因は100%私であり、言い逃れの余地はないと思っています。

 受験期にウダウダとツイッターに興じ、勝手に不安定になって人に当たったことは猛省して然るべきでしょう。

 本件においてズルズルと許しを請い続けるつもりはありません。もうFFを解かれていましたし、このエントリーが本人の目に触れるかどうかも分かりません。ですがもし読んでくださったのなら、私に機会を与えてください。あの時は本当にどうかしていました。私はあなたの音楽に関する知見や経験、何より音楽へ真摯に向き合う姿勢を本当に尊敬しています。目指すところのひとつです。本当です。あなたが音楽に対する自負やプライドを持っていることを知っています。それはきっと私の考えの及びもしないほど深く素晴らしいものでしょう。語気が強くなることも当然です。考えが至らずに額面通りに受け取り逆上した私に全責任があります。

 分かった気になっているだけかもしれませんし、そう思われたらそうでしょうと言う他ありません。あなたがアイコンも見たくないと仰るのなら甘んじてブロックされましょう。私は決してあなたを忌み嫌ってなんかいませんし、恨んだり憎んだりするようなことはありません。これだけはどうしてもお伝えしたかった。

 不肖の身ながら筆を執ったことを何卒お許しください。改めて、深くお詫び申し上げます。この度は申し訳ありませんでした。