人に見られたら恥ずかしいブログ

人に見られたら恥ずかしいブログです

B氏(M氏)への謝罪

 本当に申し訳ありませんでした。

 ずっと、すぐにでもお伝えしたかったのですが、事を見ていた方から「受験が終わるまで来るな」と言われたので黙っていました。ROM専に徹すると書きましたが途中で魔が差して書き込んでしまったことも謝罪しなければいけません。あれ以降当該アカウントには本記事執筆時点で触れていません。

 経緯は一本目の記事に書いた通りです。あまり表沙汰にするようなことではないので詳説詳解は差し控えますが、原因は100%私であり、言い逃れの余地はないと思っています。

 受験期にウダウダとツイッターに興じ、勝手に不安定になって人に当たったことは猛省して然るべきでしょう。

 本件においてズルズルと許しを請い続けるつもりはありません。もうFFを解かれていましたし、このエントリーが本人の目に触れるかどうかも分かりません。ですがもし読んでくださったのなら、私に機会を与えてください。あの時は本当にどうかしていました。私はあなたの音楽に関する知見や経験、何より音楽へ真摯に向き合う姿勢を本当に尊敬しています。目指すところのひとつです。本当です。あなたが音楽に対する自負やプライドを持っていることを知っています。それはきっと私の考えの及びもしないほど深く素晴らしいものでしょう。語気が強くなることも当然です。考えが至らずに額面通りに受け取り逆上した私に全責任があります。

 分かった気になっているだけかもしれませんし、そう思われたらそうでしょうと言う他ありません。あなたがアイコンも見たくないと仰るのなら甘んじてブロックされましょう。私は決してあなたを忌み嫌ってなんかいませんし、恨んだり憎んだりするようなことはありません。これだけはどうしてもお伝えしたかった。

 不肖の身ながら筆を執ったことを何卒お許しください。改めて、深くお詫び申し上げます。この度は申し訳ありませんでした。

人に見られたら恥ずかしいブログ

 古今東西あらゆるブログサービスをあまねく使ってきた、というのは言いすぎですが、一般市民が思いつくサービスは一通り名義をかわるがわる変えながら渡り歩いてきたと思います。そして名義を変えているのにも関わらず、知り合いのブロガーから「お前って○○だよな」と声をかけられることも段々増えてきて、世の中は狭いなあとつくづく思う僕です。

 つまりこんな風に書いている時点で、多分僕の思い至らない「癖」を、文章中に散りばめている危険性があるわけです。だから他所での知り合いから正体を見抜かれるのも時間の問題で、そうなると名義を変える意味がなくなってしまうのでどうしたものかと思っています。

 申し遅れましたが、僕はmonastonといいます。モン=アストンでもモナストンでも那須田でも浅田でも増田でもお好きなようにお呼びください。サイバー空間でも現実でも名義は一定ではありません。今現在某140文字制限SNSで名乗っている名義が一番本名に近いですが、二文字カスってるだけで全然違いますし、また近日中に弄ると思います。

 一本目なので多少力んでますが、どうせちょっとしたら更新が隔日になって隔週になって、そのうち存在も忘れて廃墟になることは分かっているので、力を入れてもしょうがないと書きながら考えています。ついでに膝も揺すっています。

 

 はてなに作り直したことに特に理由はありません。

 そもそも僕が初めて触ったブログサービスがはてなで、数年ぶりに帰ってきたので(増田は使っていますが)厳密にはお初ではない上に副垢規約がないかどうかヒヤヒヤしてるのですが、僕が使っていた若かりし頃に比べて随分と白っぽいデザインになり、ここから色々弄れるのかなあと漠然と期待を寄せているわけであります。

 数年ぶりに訪れたサイトが色々変わっているのを見ると、なんだか寂しいような嬉しいような、感慨深い気分になります。そんなことを偉そうに垂れるほど大層なキャリアを歩んではいませんが、素人同然の僕がこんな気分になるのですから、きっと色々なことがあったのだろうと推察します。

 

 ブログを新調したこと自体にはふたつ理由があります。

 ひとつは僕が今現実でおかれている立場についてです。

 恥ずかしいことですが、この度受験に失敗し、浪人することと相成りました。

 浪人生がブログなんかやってる場合じゃないだろ! いい加減にしろ! とのお叱りを頂くのが見える見えるって感じですけど、割と過去にないくらい神妙に画面に向き合っています。

 四年位前からツイッターを使っていて、大分ブログに触る頻度が減りました。何より手軽であり、一拍置いて考える必要がないので、重宝もとい依存した生活をしていました。

 ツイッターで所感を表明することをツイートといいますが、そこに至るまでのプロセスに邪魔になるようなこと、立ち止まらせる工程がレイアウトからなるたけ排除されています。まさに感じたことを素早く書き出せるのですから、物書きモドキにとってこんなに嬉しいことはありません。そしてそこで嬉しくなってしまうことが、物書きモドキたる所以でもあります。

 時にツイッターは馬鹿発見器だと言われています。感じたことをそのまま書き出せるということはつまり、文面から感情を排除する工程がすっ飛ばせるわけです。一旦立ち止まって、読んだ人がどんな気持ちになるかを考える作業が「任意」であるわけです。年を追うごとにあらゆるサービスが出ては消え、洗練されてゆくほどにその傾向が顕著になってきました。ツイッターはその終着点のひとつだと思います。

 感情の垂れ流しは自制を利かせないと無限に続きます。受験も佳境に差し掛かったとき、あろうことかそのストレスから、複数のアカウントに渡って乱雑に感情を振りまきつづけ、そのうちのひとつにおいて特定人物に対し明らかに不快感を与えるような投稿をしました。

 今思うと、どうしてそんなことをしたのか自分でも分かりません。何をしたかも今となっては全貌を思い出せませんが、明らかに冷静さを欠いていた僕は、指摘に逆上し、モノに当たり、母に暴言を吐き、勉強を放り投げてDTMを弄りつづけました。母にブレーカーを落とされ、バックアップを取っていなかった自分にキレて、作った曲を思い出しながらもう一度打ち込んでいくうちにやっと頭が冷えてきて、放心状態のまま風呂に入り、浴室を出るときになってやっと涙が出ました。

 想像してみてください。深夜ウン時です。どうみてもおかしい人です。

 実際正気ではありませんでした。大分メンタルをやられていました。ツイッターは数少ない「逃げ道」でしたから、そこを絶たれていよいよおかしくなっていました。浴室でひとしきり泣いたあとは虚脱感のあまり倒れるようにして床につきました。比喩でもなんでもありません。本当にもうダメだと思いました。

 そんなわけでひとつめの理由は、感情の制御を掌握するためです。できるだけ垂れ流さずにキチッとノブを捻る習慣をつけたいと思っています。感情や行動記録を雑多に積み上げるのではなく、一日単位で振り返って管理できるようにならないと、自分をきちんと管理していることにならないと思います。部屋の片付けのようなものです。なんだか偉そうに書いてますが、これができなかったことも敗因のひとつだと思っています。

 

 そしてもうひとつの理由は、人に説明・弁明・謝罪をする場が欲しかったからです。

 また情けない話ですが、僕は記憶力がとても悪いです。生活する上であまりにも違和感を感じる機会が多いので、昨年から断続的に検査をしています。診断が出るのはGW~盆くらいだと聞いています。

 すこし飛びますが、僕は昔からいじられやすい体質で、施設を経て現在はカウンセリングに通っています。もう10年くらいになります。環境を強引に変えたことで大分改善しましたが、今後も同じような目に遭いたくはないので、自分の中で原因になりうる要素をできるだけ排すべく相談に乗ってもらっています。

 担当カウンセラーのHさん曰く、自分を管理するためには「自己理解」というものが大事で、つまり自分の癖や特徴をきちんと把握することによって、それに起因するトラブルを回避ないしコントロールすることが肝要だそうです。

 畢竟するに、僕には自分の行動や思考をきちんと整理して出力する場がないといけない訳です。インターネット上にオープンにするこたないと思いはしますが、誰かに見られることを意識して書かないと「がんばらない」タチなので、軌道に乗るまではここに統合しておこうと思います。

 そして乱雑に垂れ流していた時にしてしまった事を分析して、原因を解明しなければまた同じことをすると思います。今現在謝罪したい人がいて、次のエントリできちんと謝罪文を掲出するつもりで準備しています。(当初この目的ありきで準備をしていました)またこれから謝るべきことを自分がするかも分かりません。表へ出ろ、という文句がありますが、その「表」を、ここに作りたいと思っています。

 

 長くなりましたが、要約すると

  1. 克己する
  2. 自分に向き合う
  3. 謝罪や意思表明の場を持つ

の三点が大まかな開設理由です。増えてる上に、なんだか1と2は同じようなことに見えますが、多分違うことだと思うのでそういうことにしておきます。初っ端から色々書きましたが、頭でっかちにならないように、きちんと実のある投稿を心がけようと思います。

 

 何卒宜しくお願いします。