人に見られたら恥ずかしいブログ

人に見られたら恥ずかしいブログです

センター試験とデモについて②

 前回お伝えしたとおり、別に保存していた下書き約6000文字がパーになりまして、ちょっとありえないくらいショックで不貞寝してたんですけど、それで書いたことを忘れるほうが悲惨なので頑張って書いてしまおうと思います。

f:id:monaston:20170310104349j:plain

 散った桜が地面いっぱいに広がるのもまた綺麗ですが、やはりそれは桜の季節の終わりを感じさせるもので、上を見上げれば散った分だけ寂しくなった枝枝が日光を隠そうともしなくなっていて、哀愁と表現していいのか分かりませんが、受験へ向けて一抹の焦りを覚えました。

 これが一抹じゃなくて一層だったらどうなっていたか分かりませんが、なんてifを書くのも情けないのでこの辺でやめておくことにします。

 僕に桜は咲きませんでした。自身の不甲斐なさを責めるだけです。受験は不甲斐ないことの連続でした。親に迷惑をかけました。目の前で10万円を超える額がゴッソリと溶けていきました。

 センター直前に余程焦っていたのか

こんなしょーもないツイートをしていましたが

僕だけでもなさそうだったのでここは総括しないことにします。

 

 そろそろ僕が昨日書いたことを思い出していこうと思います。

 時雨沢恵一先生の著書「キノの旅」の八巻に「想いは正しく伝わらない」という一文が出てきます。どういう背景でこれが出てきたのか思い出せないのですが、読んだ当時に人間関係で躓いていたのもあってとても印象に残っています。

 この時もそんなことを考えていました。

 僕はデモの趣旨そのものには反対していませんでしたし、むしろ賛成側のスタンスでした。ここを書くために四時間かけてフイにした訳ですが、例え文章が消えてしまおうとも伝えたいことも僕の立場も変わらないわけであります。

 僕の思想を長々と開帳すると人格攻撃マンが飛んできそうなので掻い摘んで説明しますが、基本的に僕は、差別や迫害への拒否感、嫌悪感で動いています。それは自分が性的少数だということもありますが、根底には幼少期の経験があります。

 僕が生まれ育った土地柄、様々な人がいました。保育園から既に中東出身の友人がおり、小学校にあがると更に全体の1/10は在日ないし在日の子だったと記憶しています。

 僕の古くからの友人で、在日韓国人三世の男がいます。とてもいい人で、離れた今でも時々skypeをします。僕がいじめられた時に離れていかなかった数少ない友人でもあります。彼はステレオタイプな日本人顔にとても近く、クラス中で「この中に一人半島人がいるので当ててください」と言われても絶対分からないくらいには馴染んでいました。そもそも肌の色がガッツリ違う人が何人もいる中で、韓国人ということは比較的重要ではなく、むしろ親の出が愛知だの山形だの韓国だのといった調子で、感覚的には都道府県の一部のように扱われていました。寛容だったというよりは、誰もそんなことは意識していなかったのだと思います。

 信仰上の理由から給食が必ず別メニュー、容姿が違えば服装も違うしなんだか体臭も独特、という「目立つ奴」ですら自然に溶け込んでいるような、多様性ど真ん中の環境で育ってきました。ちょうどその頃にDTMを覚えたり最初のブログを開設したりしましたが、ネットに触れて情報を集めるに及んで、様々な個人ブログを渡り歩いたわけですが、その中に必ずといっていいほど「まとめブログ」なるものがありました。

 要するに、某匿名掲示板の書き込みを整理して並べたサイトです。

 今となっては僕はこれが大嫌いで憎んでさえいるのですが、当時は若く他にやり方を知らなかったわけで、というかどういうSEOをしているのかまるで分かりませんが、検索結果の順位では探している情報に合致するサイトよりも上に大抵なんらかのまとめブログが出ていたわけで、必然と目に付いたわけです。

 そしてそうとも知らずに開くと、決まってアンテナ欄?に、韓国や中国を貶めるようなまとめが紹介されていました。

 何回か開いたことがあります。そしていつもショックを受けました。口汚い言葉の数々で「特定アジア」の人を貶め罵っていました。とても稚拙で取るに足らない記事でしたし、こんなものどこに需要があるんだと本気で思っていました。

 まず、民族や国籍で括って攻撃対象とすることに物凄く違和感がありました。自分の中ではずっと「好きな食べ物は何」くらいの感覚だったので、してもきのこたけのこ論争くらいのプロレスだろうと思っていたのですが、どうやら日中韓両国のヘイトデモを見ていると、やはり救いはないようです。

 それこそ地球規模で見れば差異なんてほとんどない我々が、歴史認識の違いなんていうしょうもないことで憎しみあっているのは悲劇以外の何者でもないですし、多分先導して煽動している活動家をThe DNA Journeyに参加させたら先祖の数パーセントは敵国のものと出るはずです。何より僕と親しい友人が、恐らく謂れのないであろう差別・攻撃・迫害の対象とされていることに幼いながらも憤りを覚えました。

 

 ここまでで僕が民族差別が嫌いだということを長々と書いてきましたが、あと僕がどういう属性を持っているかは

こう書いた通りです。改めて書くことでもないので割愛しますが、僕は当時も今でも安倍政権を好意的に取っていませんし、野党共闘で何か変わってくれるなら、という思いで、彼らなら僕のようなものの意見を汲んでくれるのでは、と淡い期待を寄せていました。

 この時までは。