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障碍者は劣っているのか

 不肖、図らずも精神病院に入院することになった。

 

 前歴は省く。ともかく精神科に通っていた。年度頭に受けた発達障害の検査結果が先月でた。曰く「傾向は見られるが診断は出さない」「ほとんどボーダーであり医師によっては診断をつけるだろう」とのことだった。私は腑に落ちなかった。

 病院とは別にカウンセラーをつけてもらっている。精神科の診断結果は患者に直接見せられないとのことだったので、カウンセラーに送ってもらって、セカンドオピニオンではないが別の心理士からの意見を聞くことにした。

 曰く「これなら、私だったらASDの診断を出すけどなあ」とのことだった。

 

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(脳内イメージ:近所の花火大会より)

 

 ASD・・・あさだである。病院の書類には自閉症スペクトラムとあるが、Wikipediaの記事名は自閉スペクトラム症になっていて、どちらが正しいのかは分からない。不謹慎な言葉遊びをしたと思うが、そうだとでも思わない限り10年以上に渡って感じ続けてきた自分の矛盾や無能さの説明がつかなかった。

 私としてはとっとと診断がついて手帳でも出して貰ったほうが気が楽だった。アルバイト時代も自分の「特性」で散々迷惑をかけたし、学校生活でも屈辱と無力感に苛まれ続けてきた。医師に▲をつけられ、カウンセラーには△と言われた。自分の正気を保っていたアイデンティティが挟み撃ちにされた。どちらの言い分でも「はっきりと確信も持って診断を出す」ことができないのである。

 私は、中途半端であるのなら、ないも同然だと思っている。二人とも遠慮がちに話し、必要のない謝罪を口にした。私は「はいそうですか」と頷くことはできなかった。

 

 私は並行して睡眠障害の相談もしていた。最初に相談した睡眠外来には遠方の睡眠クリニックを薦められ、持参したWISKを見た医師から今度は都内の病院を紹介された。冒頭の精神病院だ。

 ここでは発達障害睡眠障害が同時にある患者について、その傾向を調べて診断を出すらしい。体液を抜いたり脳波を測ったり身体が拘束されたりするそうで、言われるがままにサインを書いた。今思うと迂闊だったかもしれないが、どの道早急に結果を知りたいし、薬があるのなら処方してもらって入試に備えたいわけで断ることはなかっただろう。

 

 どんな結果であれ、最新鋭の科学が右といったものを左と取ることはしないつもりだが、両親は診断が覆ることを恐れているようだ。何故か問わなくても理由は分かる。本家筋に見下されないか、兄弟の結婚が不利にならないか、就職は大丈夫かと、そんなところだろう。特に就職については母が心配している。お前に入ってもらいたいような企業では必ず身辺調査があって、診断がつけば隠してもバレる、なぜ否定してもらえたものをわざわざ未練がましく調べ直すのか、などと申されている。

 

 

 

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 話は飛ぶが、私の父は経営がフラフラしている大手メーカーの技師をしている。前に精神科にかかる事自体の可否についてじっくり話したことがあるが、そのときに言われたことでびっくらこいた。やはり大手メーカーともなればお抱えの調査員がいて、就職の際にある程度は調べられるそうだ。しかし(どこまで本当かは分からないが)普通そこでかかって落とされるような人(私のような人)を、意図して何人か取ることがあるらしい。

 思い出しながら要約してみたい。

 

 父の会社を含めて大手メーカー各社は、優秀な人材のその上澄みを綺麗に掬い上げることに腐心してきたきらいがある。優秀で、各能力の均整が取れていて、チームの一員として組み込んだときに扱いやすい人がモテるそうだ。

 大体どこのメーカーにもカリスマのような人がいて、その人たちの手足にさせたり模倣させたりして、新卒を戦力にしていったそうだ。

 しかし「カリスマの手足」ばかり集めていたせいで「カリスマ」が育たず、上が引退すると既存の「手足」と新卒で劣化コピー劣化コピー劣化コピーして・・・という具合に戦力が落ちていったらしい。

 

 企業というのは攻め続けなければダメになる、その一番いい例がアップルだ。

 アップルが成功したのは、「変なこと」をやったから。ジョブズがクビになった後に落ちぶれたのは、新しく「変なもの」を生み出さなくなったから。ジョブズピクサーで成功し、アップルに復帰してから立て直せたのは「変なこと」をやったから。

 初期MACでのWYSIWYGの実現、GUIの搭載、アウトラインフォントの導入など、Windowsなどを出し抜いて、当時としては「変なもの」を作り、いまやそれがほぼすべてのマシンで標準的に載っている。「変なもの」を作れるということは先見性があるとも取れるが、実際これらは数打って当たったものの一部である。変なことやおかしなことをどれだけできるか、いかに常識にとらわれずに発想を飛躍させられるかが、技術革新の要だと父は言っていた。飛躍した発想は最初は爪弾きにされ「エラー」のように扱われるが、そのエラーが何よりも物事を前進させる強い力になる。

 父の勤めている会社では、「エラーを吐き出せる人間」が抑えつけられたり、意図的に採用から外したりしつづけ、その結果堰き止められた水のようになってしまった。水が腐り始めた今になって、行政や他社の支援を仰いだり経営合理化を進めたりしている。しかし小手先で資金を得たところで体質が変わらなければ無碍に浪費されてゆくだけであって、水が腐っているところに真水を足すようなものだそうだ。そんなことが業界中で繰り返された結果、意図的に「エラーを吐き出せる人間」を取ろう、ジョブズを探そうということになっているらしい。

 

 ジョブズADHDだったと言われているそうだ。ADHDだからといってそんな都合よく革新的な発想がポンポン出てくるわけでもないだろうが、どの道なんとも都合のいい話である。

 ともかく、本当にジョブズのような「異質な存在」が社会全体で求められたり、現代日本の閉塞を打破するカンフル剤として期待されるなら、果たして発達障害を指して「劣っている」と言えるのだろうか。

 平均的には足らなくても、何かが突出している。そういう人間なら私もあちこちで何人か見かけてきたが、義務教育の波に揉まれて平均化の訓練ばかりやらされていて誰も苦しそうだった。私もそうだった。苦手潰しに時間を取られ、できないものをできないと訴えれば根性論を持ち出される。まず教育制度のこういうところを改めないと、日本に光明を示す人材なんか到底育たないと思う。

 

 いい加減、空気の読めない人をガイジガイジと貶めるこの国特有の精神病を一掃すべきだと思う。人は誰だって違うべきだし、人が人という枠組みを維持する限り、単一的であってはならないはずだ。

 東大卒だってアナルで感じる人とそうでない人がいるはずなのだ。